2008年09月20日

熱海温泉の共同湯

共同浴場は下記の8軒あります。
熱海共同湯の湯船は小さく、多くても5、6人程度の大きさです。
熱海の歓楽的雰囲気はないものの、地元の方や本当の熱海に触れられる場かもしれません。


駅前温泉浴場
熱海駅から徒歩2分のビルの中にあります。
浴室はあまり大きくなく、湯船で5~6人が浸かることのできる大きさです。

泉質は、ナトリウム・カルシウム-塩化物泉で、入浴料は500円です

上宿新宿共同浴場
熱海市役所の北側、ニューフジヤホテルの裏手にあります。
浴室は、あまり大きくなく、湯船は2つに仕切られ、ぬる湯と熱湯に分けられています。

泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物温泉(等張性、弱アルカリ性、高温泉)、入浴料は400円です。
営業時間は、15時から17時です。

清水町共同浴場
清水町町内会館の1Fにある小さな共同浴場で、2人から3人が入れるぐらいの大きさです。
料金は、400円で、営業時間は11時から21時30分です。

渚共同浴場
渚共同浴場は熱海市の中心部の繁華街にあり、JR熱海駅から徒歩で約25分です。
渚親水公園スカイデッキのすぐ近くです。
料金は、350円で、営業時間は15時から20時30分です。
定休日は、毎週水曜日となっています。

水口共同浴場
小さな建物で、湯名の表示もなく、アルミのドアで、中が男湯と女湯に分かれています。
湯船は小さく2名~3名の大きさです。
料金は250円です。

水口第2共同浴場
水口共同浴場より更に小さいです。
場所は、水口共同浴場から7~8分、熱海郵便局から5分ほどのところにあります。
料金は250円で、営業時間は16時から21時です。

山田湯
熱海金城館の近く、熱海駅から車で10分ぐらいのところにあります。
山田さん宅の一角にあります。
料金は、250円で、営業時間は、8時~11時、15時30分~21時 です。
定休日は、不定休です。

竹の沢共同浴場
JR来宮駅から徒歩約20分、明水神社の境内の下にあります。
湯船の大きさは、5人~6人ぐらいです。
料金は、200円で、営業時間は15時~翌朝8時30分です。
定休日は、毎週水曜日です。

熱海の四大温泉

2008年07月12日

熱海温泉は徳川家康にお気に入りの温泉

熱海温泉の起源は、今からおよそ1250年前の天平宝字(755~765年)頃、箱根権現の万巻上人が、海中に湧く熱湯によって魚類が焼け死に、甚大な被害を被っていた漁民たちを助けようと志し、祈願によって泉脈を海中から山里へ移したことと伝承されています。このことは山東庵京山の書いた「熱海温泉由来」(1830年)にも記述があります。

熱海温泉を愛した著名人で、最も熱海の発展に寄与した一人が徳川幕府初代将軍・徳川家康公です。慶長9(1604年)年3月、家康公は義直、頼宣の2人の子供を連れて、7日間熱海に逗留(東照公記等)し、同年9月、京都で病気療養中の吉川広家(周防・現在の山口県)の見舞いとして熱海のお湯を運ばせました。
当時、すでに全国レベルの名湯と知られ、より京都に近い「有馬の湯」ではなく、「熱海の湯」を運ばせたところに、家康公がいかに熱海温泉を気に入ったかが窺い知れます。

この元祖“温泉宅配便”は後に「御汲湯おくみゆ)」として歴代徳川将軍に継承され、4代将軍家綱公の時(1667年)、大湯の温泉を真新しい檜の湯樽に汲み、それを頑強な男数人に担がせ江戸城まで運ばせるようになりました。ちなみに同じく「御汲湯」の歴史がある群馬県・草津温泉は8代将軍吉宗になってからです。

現在でも約90℃と非常に高温の大湯ですが、江戸城に着く頃、湯樽の温泉はちょうどいい湯加減を保っていたそうですから、担ぎ手の健脚ぶりは驚きです。記録では昼夜兼行で15時間、その風景から「熱海よいとこ日の丸たてて 御本丸へとお湯が行く」という唄が生まれました。その後、湯樽は船で運ばれるようになり、8代将軍吉宗公の時が最も盛んで、享保11年から19年までには3640樽送ったと伝えられています。

また、家康公が熱海を幕府の直轄領としたことで土地の治安・風紀が守られ、各地の大名、明治以降も時の要人、軍人、文化人などが頻繁に熱海に訪れ、しばしば歴史的会談なども行われるようになりました。その伝統は平成13年の日韓首脳会議開催などに受け継がれています。
[熱海温泉旅館組合公式サイト 熱海温泉お宿ナビから引用]

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2008年06月21日

熱海温泉の特徴

熱海温泉の泉質の約9割が塩化物温泉と硫酸塩温泉で、効能は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病です。

塩分が皮膚を覆い保温効果にすぐれるので、神経痛をはじめ、冷え性などに適します。
また、慢性婦人病慢性皮膚病に適応しており、最近では肌をひきしめ、痩身効果も期待できると言われているので、ご婦人にも注目されている熱海温泉です。

また、1日の総湧出量約26,000トンと有数の温泉量を誇る熱海温泉でもあります。

さらに市内の源泉のほとんどが肌に優しい弱アルカリ性のため、湯のあたりはとてもやわらかく、美肌効果も実感できます。ちなみに最もアルカリ性が高いのはpH9.6という源泉で、上多賀地区に湧出。成分総量が最も多い源泉は1リットル中、約35gの温泉成分が含有されています。これは家庭用浴槽に一般的な入浴剤(1袋30g)を約233袋入れたものと同等という“濃さ”だそうです。

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2008年06月14日

熱海温泉の歴史

熱海温泉の起源は、今からおよそ1250年前の天平宝字(755~765年)頃、箱根権現の万巻上人が、海中に湧く熱湯によって魚類が焼け死に、甚大な被害を被っていた漁民たちを助けようと志し、祈願によって泉脈を海中から山里へ移したことと伝承されています。
このことは山東庵京山の書いた「熱海温泉由来」(1830年)にも記述があります。

熱海温泉を愛した著名人で、最も熱海の発展に寄与した一人が徳川幕府初代将軍・徳川家康公です。慶長9(1604年)年3月、家康公は義直、頼宣の2人の子供を連れて、7日間熱海に逗留(東照公記等)し、同年9月、京都で病気療養中の吉川広家(周防・現在の山口県)の見舞いとして熱海のお湯を運ばせました。当時、すでに全国レベルの名湯と知られ、より京都に近い「有馬の湯」ではなく、「熱海の湯」を運ばせたところに、家康公がいかに熱海温泉を気に入ったかが窺い知れます。

この元祖“温泉宅配便”は後に「御汲湯おくみゆ)」として歴代徳川将軍に継承され、4代将軍家綱公の時(1667年)、大湯の温泉を真新しい檜の湯樽に汲み、それを頑強な男数人に担がせ江戸城まで運ばせるようになりました。ちなみに同じく「御汲湯」の歴史がある群馬県・草津温泉は8代将軍吉宗になってからです。

現在でも約90℃と非常に高温の大湯ですが、江戸城に着く頃、湯樽の温泉はちょうどいい湯加減を保っていたそうですから、担ぎ手の健脚ぶりは驚きです。記録では昼夜兼行で15時間、その風景から「熱海よいとこ日の丸たてて 御本丸へとお湯が行く」という唄が生まれました。その後、湯樽は船で運ばれるようになり、8代将軍吉宗公の時が最も盛んで、享保11年から19年までには3640樽送ったと伝えられています。

また、家康公が熱海を幕府の直轄領としたことで土地の治安・風紀が守られ、各地の大名、明治以降も時の要人、軍人、文化人などが頻繁に熱海に訪れ、しばしば歴史的会談なども行われるようになりました。その伝統は平成13年の日韓首脳会議開催などに受け継がれています。

明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。代表的なものは、尾崎紅葉の「金色夜叉」、永井荷風の「冬の日」、林芙美子の「うず潮」などでがあります。昭和30年代は、新婚旅行のメッカで熱海温泉は賑わいました。

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2008年06月08日

熱海の四大温泉

熱海の四大温泉には、熱海温泉、伊豆山温泉、伊豆湯河原温泉、南熱海温泉があります。詳細は以下のとおりです。

熱海温泉熱海の中心市街地に位置しており、近代的な温泉都市として、多くの観光客で賑わっています。設備充実の大ホテルから山間の湯宿まで旅の選択は全国屈指です。
青い海や山の緑に囲まれ大自然を満悦できるうえ、湯の町風情も楽しむことが出来ます。
熱海市街地のph平均 7.98 成分総量平均 5.1915.68g/kg です。

伊豆山温泉
古湯「走り湯」を中心に発展した歴史ある温泉場です。相模湾をのぞむ風光明媚な土地に、名建築が今尚、数多く残っております。また、熱海の「大湯」と伊豆山の「走り湯」は、双璧とも言われています。昔は海岸の洞窟より、温泉が川の如く湧き走り出していたといわれています。

伊豆湯河原温泉(泉地区)
箱根外輪山から流れ出した藤木川(下流千歳川)沿いに発達し、山裾深く入った山峡にも、落ち着いた旅館が立ち並んでいます。

泉地区のph平均 8.24 成分総量平均 0.9515.68g/kg です。

南熱海温泉
江戸時代、港として栄えた網代を中心に、漁村の風情が残る、波静かで遠浅の海が続く海岸沿いの温泉郷です。当時を語る史跡が、ひっそりと残っている網代・伊豆多賀エリアです。

網代地区のph平均 7.12 成分総量平均 15.68g/kg です。

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